お侍様 小劇場 〜枝番

        “檻の中” (お侍 番外編 84)
 


 そこは省庁が支援している医療関係の財団の研究所で。主には難病への抗体研究や、遺伝子関係の臨床などが扱われている関係でだろか。空気の良い土地という静かな環境下への立地が求められ。それでと選ばれたのは随分と鄙びた片田舎。家族のある職員なぞは、週末にのみ帰宅が適うという半単身赴任状態に置かれており。この不況下でも昇給は続いていたし、有給も多めとあって、辞める者は滅多にないものの、

 『ここまでの待遇でなきゃあ やり手がいないって順番なんじゃね?』

 特に経過観察する対象もなく、定時に退社出来たとて、近場に飲み屋の一軒もない田舎じゃあなと、苦笑を零してた同期の友人が、

 『あ、しまった。』

 滅菌室の鍵、閉めたかななんて。他愛ないことを気にして口にしたものだから。

 『ああ、それなら俺が確かめてから帰るさ。』

 資料整理に手間取っていたので、きりのいいところまで済んだらば、そっちも確かめてから上がるからと、安請け合いして皆を見送って。

 「……っと。何だ、ちゃんと閉めてるじゃないか。」

 大雑把なんだか神経質なんだか、要領だけは良い、彼の友の顔を思い出し。やれやれと肩をすくめると、一応 管理室から借りて来た鍵をデスクへと返し、しんと静かな館内に、自分の足音だけを響かせながら、玄関のある階までを降りるエレベーターへ乗り込んだ。この週末は連休だからか、年度末だということでのバタバタを終えた事務の職員のみならず、研究員や主幹クラスの教授らまでが、どこかそわそわと落ち着かなくて。

 “といっても、人事異動の発表もなかったし。”

 政争や何やという影響の及ぶ所轄でなし。そうかと言って、税金の無駄だの不要の長物だのと、支援を打ち切られそうな研究所でもなし。その成果を派手に取材されるようなこともないが、ないと困ろう人々も少なくはないという。地味だがだからこそ堅実で、だからこそ ある意味安泰な、そんな研究所………のはずだった。

 「………え?」

 ほんの数階、何なら階段を使って降りてもよかったが、つい習慣で乗り込んでしまったエレベーターのゲージが、がくんと、妙な間合いでいきなり停まってしまったものだから。ぼんやりと他愛のない想いを巡らせていた思考も止まり、何だ何だと周囲を見回す。10人近くが乗れる大きさのゲージは、だが今は自分しか乗ってはなくて。大きく跳ね回った訳じゃなし、自分が原因での急停止とは思えない。操作パネルを見やれば、自分が押した1の数字だけが灯っており、

 “非常ベルも鳴ってはないしな。”

 火事や地震でということじゃあないらしいし。誤作動かなぁと思いつつ、あまりに静かなのが逆に不気味で。操作パネルにあった非常呼び出しのボタンを押したが、

 「………もしもし?」

 パネルに設置されてるマイクの位置へも呼びかけたが、何でだろうか、反応がない。確か、エレベーター会社の方へと通じているはずだろうに。だったらこの館内に人がおらずとも、何かしらの応答があろうに…うんともすんとも声がしない。停電でも起きてのこと、通話も届かぬか、いや待て、だったら何で照明は煌々とついているものか。

  ―― 電気系統は無事ながら、通信系統には支障が起きている?

 何だよこれ、いくら田舎の施設でもメンテナンスはマメだったはずだろに。少々ドキドキしつつ、上着の懐ろから携帯を取り出したが、どういうことか“圏外”という表示になっており。いくらここがゲージ内という奥まった場所であったって、館内には無線LANが敷かれているはず。そこから外への回線へ断線などの支障があったということか。

 「…何だよ、これ。」

 ドラマや映画じゃあ観たことある状況だけれど、まさか自分自身がこんな目に遭おうなんて、一体どのくらいの心配症が思うのだろか。地震が起きた訳でもなし、停電でもないってんならば、もしかして気づいてくれる人もいないんじゃあ。しかも、

 「………あ。」

 明日から連休じゃんか。経過観察が要りようなものがないじゃないけど、研究室は別の棟だし、こっちの事務棟は、まる3日 誰も来ないぞ。

 「うあ、それって立派なサバイバルじゃんか。」

 どうしようか、どうしたらいい? 大声出しても研究棟までなんて届くまいし。通信回線の故障なら、外へと異状を知らせる手段もなし。あ、でも待て、通話用の回線のダウンだってんなら、データのやり取りとか普通の通話とかしかかって、繋がらないなおかしいなって気がつく当直がいるかも知れない。それまで待ってりゃ、何とかなるかも? 見上げた天井には、点検用のハッチなのだろ、外へと出られそうな一角があるけれど。何かで あれって中からは開けられないって聞いたことがある。だってそんなことがひょいひょい出来たら、子供がやってみたりして危ないし、泥棒の侵入経路にもなりかねないし。なので、工具を使っての外側からしか開けられないって、そんな話を聞いたんだっけ。まあ、開いたところで、何の足場もないんじゃあ、飛びつけないし上がれもしないけどさ。どっかの、世界一 運の悪い刑事じゃあるまいし。こんなところを出入り出来るような人って、現実にいるんだろか。

 「…………………え?」

 いきなり間近で、ゴンって大きな音がした。思わずのこと、声が出ちゃったぞ。え? え? 何だなんだ? ゲージが揺れた。ゴトンって音がしてから、下向きに ゆさりって。天井から何か音するし、何だよ、何なんだよこれ。この研究所、実は祟られてんのかよ。難病で亡くなった人とか、臨床で悪化して、なのに“そんな人はいない”って揉み消された例があるとか? わっわっ、何か明かりが点滅してる。え? 何の音だ? カリカリとかカチャカチャとか、引っ掻くようなの、上から聞こえてるけど………、


  「誰ぞ、おいでか?」

  「……えっ? って、ひゃあっっ!」






       ◇◇◇



 有名な山地を遠方へと望めることから、風光明媚な土地柄を賛美されており、精密機器やら医療関係の研究に、持って来いの土地ともされている台地の一角。その縁に立つ建物が吹き上げる火柱の明かりが、居合わせた人々を明々と照らし出しているものの、それさえ届かぬ夜陰の向こうでは、彼らにも多少ほど縁のなくもない山脈が、その稜線を夜空へと紛れ込ませている。このような遅い時間帯に、人が居合わせるのも異例なことで、

 「…とのことで、手配も済みました。」
 「さようか。」

 特徴もなく何の変哲もない背広姿の男らが、白衣を着た上背のある人物と向かい合っており。そんな彼らの傍らからは、何故だろか耳に馴染み深いサイレンを鳴らしつつ、救急車が1台発進してゆくところ。それを何とはなく視野の端へと留めておれば、

 「間に合ってよかった…とか思ってませんか、勘兵衛様。」
 「いかんのか?」
 「そんな朗らかに仰有られては、我々の立つ瀬がありませんて。」
 「そうですよ。まさかにゲージに取り残された人がいようとは。」
 「というか、
  彼は、我々の動きを察した誰かさんが策を講じて、
  故意に居残させたらしいんですってね。」

 そもそも、潜入してとあるものを持ち出すことが任であった こたびの務め。だが、外部からの知らせでもあったか、ここへと詰めていた相手の“犬”へもそんな気配は届いたらしく。焦った末に自棄になったか、最終手段を執られてしまった。

 「炭素系のガスか、若しくは電気系統の操作ミスによる事故。
  そんな失態しでかして、慌てた挙句に逃げ遅れた所員という格好で、
  一人ほど居残しての、
  この研究所ごと、何もかもを“廃棄”するつもりだった、と。」

 ここでの実行犯にあたる男がそうと自白したらしく。

「所員が見つかればそういう推量も立てやすかろうし、少なくともその所員の行動範囲が捜査されるのであり、謎の事故として現場の隅から隅までを探られはしまい…と踏んだらしくて。」

 簡単な爆破装置くらいなら、自家製のを作り出せよう程度の知識はあろう、そんな人々の集う場所ではあったが。それでも…それへと要るのだろう物資の流れを察知し、ただならぬ策謀が起こりかかっているとの急を知り。それでと、こちらもこちらで手は打った。ある教授らへは偽の通達を出しての都内へと呼び寄せたり、職員らへは、関係省庁からの通達、所内の消毒を行うとの旨を発行し、一人残らず管理棟から追い出したり。それでも居残る一徹者らへは、声色を用いて家族からの火急な連絡を装ったりと、ありとあらゆる働きかけを繰り出しての人払いを徹底したはずだったのに、

 『…今、ゲージが作動する音がしなかったか?』
 『勘兵衛様?』
 『もう間に合いませぬ、早ようお逃げ下さいませ。』
 『該当マウスさえ確保できればそれで…。』

 広い館内を隈なく調べ、誰も居残ってはないことを確かめたつもりが、そんな格好での取りこぼしがいようとは。

 「そうは言うが、口惜しいではないか。」

 そこだけは相手の置き土産が上で、自主的に動き回る“人質”が用意されていようとは。自分らが何とか追い立て追い出した人々とは、微妙に行動軸の異なった所員。犯人の画策により、常とは異なる行動を取っていたがため、ゲージの中などという特異な場所に、しかも閉じ込められていたなんて。もしも彼があのまま見つけ出されなかったならば、表向きには前出のような捜査がなされてしまおう、お見事なお膳立てが功を奏しての、危うく“被害者”を出してしまうところだった…とはいえど、

 「ですから。どうして他の者へ任せてくれなんだのですか。」

 さすがに…例えば支家の者であれ、宗主を相手にここまでつけつけという口利きは出来ぬ。突然 勘兵衛様が単身で翔っていかれたとの知らせを受けて、動じるなと同行した顔触れを静め、彼らを外へと出させたのと入れ替わり、自身が飛び込んで勘兵衛を捜し出したほどの事態収拾の巧者といえば、日頃から駿河の宗家を束ねておいでの、隋臣頭の加藤氏しかいない。平生は執事頭という事務方に徹しておいでだが、いまだ実務にも立つこと多く。血統の濃さのみならず、武道格闘の手腕や手際でも群を抜く手練れである勘兵衛の、その向背は彼にしか護れぬとまで言われている人物で。だからこそ、その無謀をこうして意見出来もするとあって、

 「もうよい、判った。」

 今後は気をつけるとの約を取りつけた勘兵衛が、困ったように苦笑をし、そこへと…まるで助け舟よろしく、すかさずの口を突っ込んだのが、

 「せやけど。何でまた、助けが来たのに気ぃ失ってしもたんですやろ。」

 天井にあった点検用のハッチから、白衣を着た蓬髪のマクレーン刑事、もとえ…倭の鬼神が降って来たのへと。ヒッと短く呻いたそのまま、ばったり倒れた研究員A氏であり。勘兵衛の突発的な行動へ、辛うじて追従出来たは“西の疾風”佐伯征樹ただ一人。冴えた風貌を大きく裏切り、はんなりとした京言葉で語る彼もまた、問題のエレベーターゲージの上に到達しており。哀れな生贄にされかけていた所員の誰かさんが、そりゃあ見事に倒れたのも目撃していて。だが、それへは、

 「映画じゃあるまいに、
  あんな方法で助けがくるとは思わなかったんじゃないですか?」

 そんなこんなで逼迫しているところへ、それは鮮やかに現れた人物があったので。こんなことが起こるはずはないという、思考停止が起きたとか。大方そんなところでしょうよと、呆れたような口調になった待機班から、用意されてあった小箱が差し出されたのへと。白衣姿ではあれ、ここの所員にしては随分と精悍で体格のいい勘兵衛が、その手をすいと延べたれば。小さな白い子鼠が袖の中から、ちょろりと現れ、餌の匂いに誘われて、小箱の中へと大人しく入る。

「このマウス1匹だけなのを失敬するとか、
 処分するならするで、ゲージ丸ごと何かしらの病気になったと持ってくとか。
 そういった手を用いなかったのは、
 衆人環視下では持ち出すのが難しかったからでしょうかね。」

「いや、今 当人が身柄を確保されたらしいんやけど、
 どのゲージの子ォなんか、推量でけへんかったらしゅうてな。」

 ………なんですか、そりゃ。

「だとしたって、施設ごとの爆破とは。極端なことを仕掛けるもんだ。」
「最近の若いのんはそういうもんやろ、目先のことしか見えてぇへん。」
「そうそう。
 思うようにならぬなら、いっそ全部壊れりゃいいと思ったに違いないさ。」
「それでなくとも、頭でっかちなばかりという連中だったらしいしな。」

 ここに所属の血清研究のグループ内に、よからぬ組織と手を組んだ者がいて。高名な博士がその培養をほぼ成功しかけていた、とある難病への抗体血清を、だがそれがあっては困るので、処分しろとの指示をされていて。

「最初は単なる金儲けのバイトだったのが、もはや手を切れぬところまで深入りした挙句に、うまく運ばねば殺すぞと脅された。それで、随分と焦った末のこの顛末らしいですから、まああんまり強心臓の悪党ってのじゃあなかったらしくて。」

 だが、顔見知り以上のお仲間を“巻き添え”という格好で殺しかけもした辺りは、立派な悪党じゃあないのかねぇと。下準備の余裕も取れなかったほどの、なればこそ手慣れた顔触れを揃えてかかった強硬作戦の終焉と共に、仄かな不条理感じつつ。借り物の白衣を溜息混じりに脱ぎ去った、総帥様であったのだが……。



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